龍馬歴史館2F・龍馬有縁資料館で
現在開催中の企画展「 刀剣イズム 」では
打刀「 陸奥守吉行 」を展示しています
「 陸奥守吉行 」は
坂本龍馬が持っていた刀としても有名で
ゲームなどにも登場していました
その「 陸奥守吉行 」が
龍馬の手に渡るまでの流れを
ご紹介します
慶応2(1866)年12月4日に
龍馬は兄・権平に
1通の手紙を送りました
それには
「 武士が国難に臨む時には、
必ず先祖伝来の甲や家宝などを
分け与えるものだ
坂本家の家宝の品を分け与えて下さい 」
と述べていました
龍馬は同年6月14日に起こった
小倉戦争( 幕府対長州 )に
高杉晋作とともに参戦しています
己の命がいつ果てるか分からない状況の中、
何か家族を感じられるものを
傍らに置きたいと思ったのでしょうか
龍馬から手紙を受け取った権平は
一振りの刀を送りました
その刀が
「 陸奥守吉行 」といわれています
坂本家から出た、
この「 陸奥守吉行 」のたどった経路を
見ていきましょう
① 慶応3(1867)年2月、山内容堂に
【四侯会議】出席を求めて土佐藩を訪れていた
薩摩藩士・西郷隆盛に権平より託された
【四侯会議】とは、
慶応3(1867)年5月に
京都において設置された諸侯会議で、
有力な大名経験者3名、
実質上の藩の最高権力者1名からなる合議体制
この時の出席者は
・松平春嶽( 福井藩前藩主 )
・山内容堂( 土佐藩前藩主 )
・伊達宗城( 宇和島藩前藩主 )
・島津久光( 薩摩藩主・茂久の父 )
の4名で、
今後の日本の方針について議論した
② 同年3月、薩摩藩にいた
西郷隆盛を訪ねてきていた
中岡慎太郎へ 西郷から託された
③ 薩摩藩を出発し下関に到着した
中岡慎太郎から、龍馬へ渡された
土佐を出て龍馬の手に渡るまで、
二人の人物が間に入りつないでいく様子が
まるでリレーのようですね
場所も、
土佐 → 薩摩 → 下関( 長州 )
と経由しています
兄・権平から龍馬の元へ渡った
家宝「 陸奥守吉行 」
その間に二人の人物によって
大切につなげていってもらったことでしょう
これもまた、
「 陸奥守吉行 」の魅力あるエピソードですね
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