大野充彦『龍馬の小箱』(28)
海援隊の出版物


海援隊は慶応3年(1867)4月に正式結成されます。もちろん、隊長は龍馬です。海援隊は土佐藩と結び、本格的な海運業に乗り出します。しかし、龍馬が同年11月に暗殺されると、海援隊の活動は低迷します。妙な言い方をすれば、龍馬の偉大さが証明されるような結果になるわけです。ただ、海援隊は、「海援隊三部作」と称される3冊の書物を出版します。「和英通韻以呂波便覧(わえいつういんいろはべんらん)」、「閑愁録(かんしゅうろく)」、「藩論(はんろん)」の3冊です。当館では「和英通韻以呂波便覧」、「閑愁録」の原本2冊を所蔵・展示しています。今回は「和英通韻以呂波便覧」の概要を紹介したいと思います。

「和英通韻以呂波便覧」は題名が長いので、以下では「和英便覧」と略記しますが、長い表題のおけげで、「いろは」順に編集された簡便な和英辞書だということがすぐ判ります。内題(ないだい)に相当する箇所には、中央に大きな文字で「和英通韻以呂波便覧」とあり、その右側に「倭字(わじ)巻菱湖(まき・りょうこ)先生書」、「蟹行字(かいこうじ)阿蘭陀(オランダ)人書」、「尚友主人校」、左側に「土佐海援隊蔵板」と刻されています。本書は木版刷り(もくはんずり)の1冊本です。

木版刷りとは、硬質の平木に文字や図を彫って墨で刷ったものを指します。小学生たちが工作や美術の時間に作る版画を思い浮かべていただいても、瓦版(かわらばん)や墨刷り浮世絵のような歴史上の事例を想起していただいても結構です。「和英便覧」は、1枚1枚和紙に刷られた後、それぞれ2つに折られ、最後は厚紙の表紙を付けて右端を糸で綴じられています(このような装丁のものを和装本と呼ぶことがあります)。

内題に見られた「倭字巻菱湖先生書」の「倭字」とは、漢字に対する国字(日本の文字)のことです。それを書いたのが巻菱湖という人でしたから、「巻菱湖先生書」となっています。ただ、彼は天保14年(1843)、龍馬が9歳になる年に死去しています。いっぽう、「和英便覧」の版行年は慶応4年(1868)です。ですから、「和英便覧」にみられる字体が巻菱湖の肉筆でないことは言うまでもありません。「和英便覧」は、彼の字体を先行するいろんな本からピックアップして編集したのです。出版者の苦労が偲ばれます。巻菱湖は、市河米庵(いちかわ・べいあん)、貫名菘翁(ぬきな・すうおう)とともに「幕末の三筆(さんぴつ)」と称された能書家でした。いっぽう、「蟹行字阿蘭陀人書」の「蟹行字」とは、カニのように横に進む文字の意で、横文字つまり英字を指しています。それをオランダ人が書いた、というわけです。

「和英便覧」の序文は、「尚友堂主人」の名のもと、漢文で書かれています。233字に及ぶ序文を私なりに(分かりやすくするための語句も補って)要約しておきます。

開国後は外人の来日が絶えず、彼らと接触する際には言語と文字を必要とするが、それが通用しなければ貿易に支障が生じる。その支障は国家の損害ともなるから、この小辞書を日本人に頒布すれば、多少は役立つはずである。交渉事には英語が多く使用されるから、まずは和英辞書を出版することとした。    和漢の書き方は縦書き、外国は左からの横書きという違いがある。いま、多くの日本人が苦労して外国の書物を学ぼうとしている。だが、英語は40字に満たない文字によって成り立っている。本書に載せた基本を早く習得し、外国との交渉に活用してもらいたい。

序文の次には、1ページに6コマが割り当てられた本文がはじまります。「いろは」47文字の平仮名・片仮名と、「一」とか「二」などの漢数字が「億」まで取り上げられ、対応する英語が書かれています。ですから、どの字もかなり大きく印刷されています。1ページ目は「い」「ろ」「は」の3字で、記載は次のようになっています。

上記の「H」や「A」のルビをご覧ください。「ヱ」は、平仮名で表記すれば「ゑ」です。明治33年(1900)以降の学校教育では、平仮名の統一が進んだ結果を受け、一音一字が徹底されていきます。しかし、それ以前の日本では「え」と「ゑ」は別字でしたし、「い」にも「ゐ」という別字がありました。

漢数字についても紹介しましょう。「一」から「十」まで、そして続けて「百」、「千」、「萬」、「億」が英語と並記されています。以下に3例を引用します。

ルビに注目していただくと、「hundred」の発音が「ホントレデ」になっているなど、思わず笑みがこぼれる例があります。漢数字の後も、相変わらず1ページ6コマの割りで「天」、「地」、「日」、「月」、「星」、「人」、「東」、「西」、「南」、「北」、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、「暑」、 「寒」、「昼」、「夜」、「朝」、「夕」の計20の和英対照が続きます。

「和英便覧」の本文は、「夕」を「evening」と紹介し、「エブネン」とルビを付した後、編集形式を大きく変化させ、時計の図解に移ります。最初の部分を現代語(一部は要約)で引用してみましょう。

英国の時計は西洋諸国と同じで1日24時間、1時に始まって12時で終わり、また1時になる。日本の「昼九ツ時」は外国の12時に当たり、「夜九ツ」も12時に当たる。我が国は「日夜長短」により、時計の刻みを操作してきた。

西洋諸国はすでに、今の日本のように、太陽の南中(なんちゅう)を基準時間と定め、24等分する「定時法」の時計が採用されていたのです。コロンブスなどが活躍した大航海時代に一般化しました。12時で運命が変わる、あのシンデレラの物語は、時計が普及しはじめた時期のものです。江戸時代までの日本は「日夜長短」によって、つまり日の出、日没を基準時にして時が刻まれていました。つまり、「不定時法」でしたから、細かなことを言えば、江戸と土佐では時計の時間に若干のズレがあったことになります。

「和英便覧」は時計の詳細な解説に続き、十二支(じゅうにし)を取り上げています。
「子 ネ Rat ラット」、「丑 ウシ caw カヲ」、「寅 トラ tiger タイガル」のように、英語の動物名を併記して英単語を身近に感じさせるような工夫が凝らされています。そして、現在の五十音(アイウエオ順)、濁音、アルファベットの各表が掲載され、本書は終わります。海援隊が存続していれば、会話集や、慣習の相違点などをまとめた本が出版されたかもしれません。私は今回、こんな一文を書いている最中、龍馬が喋った英語を聞いてみたい、と何度も思ったことでした。